長女が1歳で保育園に入った時に足形を取ってもらいました。とてもとても、小さい手でした。
2歳児クラスが終わり、同じように足形を取ってもらいました。比較したらとても大きくなっていた。
2年ちょっと足りないぐらいしか、時間はすすんでいないけれど、倍近くに大きくなっていました。

夜布団でぐたーっと、見事な大の字で寝ていた姿を見るときも、しみじみと大きくなったと思うのです。

いつの間に、こんなに大きくなったのだろうと思います。
毎日が忙しすぎて、微細な成長は見えずらく、どこかで大事なものを落としてきても気づくことが出来ていないような気がします。

でも、ただ可愛い可愛いだけで過ごせないのが子育て。
ぐちゃぐちゃしてるし、頭の中は本当に厄介で、産まれたばかりの時の新鮮さを長くとどめ置くには一日が短すぎて。

「何歳になった?」
「もうすぐ4歳」
「一番可愛い頃じゃない!もう目に入れても可愛いもの!」
「でも、起きてから寝る前まで、いやだしか言わないよ?」
「あら、もっと大きくなったら理屈こねた口答えしかしなくなるわよ。めちゃくちゃかわいい」

何気ない友人たちの会話でも、これからやってくるらしい精神修行の日々を前に、今も結構余裕ないのにどうなるんだろうかという一抹の不安と、私もやってきたんだろうなあ。おかあさん、おかあさん、色々ごめんなさいと過去を反省するのです。

(親になれたことの一番の収穫は、子どもとして親との関係をさらにひとつ上の段階へ持っていけた事)
 

その時の目いっぱいの可愛さに目を向けられる余裕と柔軟さ、そしてなによりも子どもに対しての謙虚な愛情が必要だと今日も自分に語りかけながら、お迎え時色々なことがいやだった長女は、ぐずりながら(時々トリップしながら)横断歩道でくねくねとしてる。

いつか、この日の娘を思いだして、足形をみて小さかったなーって思った時と同じように感じたりするんだろうな、そんなことを10歳、20歳、30歳になっても思うんだろうな。(私は一体いくつになってるんだろう?)

気分を変えるのが必要なのは、子どもだけじゃなくって、母親も同じことで、叱りつけたり、納得させたりしようと躍起になる前に気持ちの矛先を変えてみたりするのもよいのかもしれません。

きっと、そんなことをしてるうちに、悟りを開けそうですし。
 
 
「ご飯の後、甘酒飲もうね」
と手を出すと、さっきまでクネクネゴネゴネしていた人は、自然ににっこりと笑って、うん、と私の手を握ってくれる。

難しく考えなくていい。難しいのは子育てじゃなくって、生きてきた分だけぐちゃぐちゃしてしまっている親育ちの方だから。
  
こんなに小さい手は、今だけです。
(甘酒で釣られてくれるのも今だけで・・・)