「6つになった」 A.A.ミルン 

1つのときは なにもかも はじめてだった
2つのときは ぼくはまるっきりしんまいだった
3つのとき ぼくはやっとぼくになった
4つのとき ぼくはおおきくなりたかった
5つのとき なにからなにまでおもしろかった
今は6つで ぼくはありったけおりこうです
だから いつまでも6つでいたいと ぼくはおもいます

 

 

三歳クラスの時に当時の園長先生が懇談会で紹介して下さった一文です。
とても心に残っていました。だって、その頃は特に子育てに苦戦していたのです。

手を離してはいけないけれど、その手を握りしめてしまうと子ども自身が身動きとれなくなり始める頃でしたから。

0歳児、お母さんなんでも守ってあげる、産まれてきてくれてありがとう、お母さんの可愛いほやほやちゃん。(寝れないけど幸せだ)
 
1歳児、なんでも新鮮、ママも新鮮。お喋りも出来るようになって色んなことが楽しくなる。でも、1歳半児になると初めての自己主張が始まって、なんだか気持が忙しく、時々泣きたくなる。
 
2歳児、所謂「魔の二歳児」。1歳半からの自己主張が日々グレードアップ。なんでも自分でやりたい、なんでも自分で出来ないとやだ、でもなんでもは出来ないから大変だ。そんなボク・アタシをママがそれでいいんだよって言ってほしい、なんでもやっていいよって言ってほしい。(無理な事がある事もわかってほしい)
 
3歳児、なんだか「恐怖の三歳児」というらしい。「自分はこうしたい」が止まらない。力も強くなってきて、理屈と屁理屈の攻防戦。ママへの口答え、はじめました。

4歳児、「天使の四歳児」。そうなの?ちょっとそれ、期待しちゃう。
確かに、説明したら納得するっていう事が出来るようになってきて、少しずつ人の気持ち、”人の都合というものがある”ことを理解し始める頃。ママの理解者なのかもって思う事も多くなりました。
 
 

ざっと振り返ってみる子育ての日々。確かに、3歳は恐怖なのかもしれません。
 
だって、子どもの言っていることはいわば、「ママは私じゃないでしょ?」「私はママとは違う人ですから」「ママの一部ではありません」と、お腹から出てきたわが子に別離宣言を告げられているようにも聞こえてきます。
 
明確に好みが明らかになり、女の子であればピンクばっかりはご勘弁…と思っても、毎日のお洋服がピンキーになるのもこの頃です。
 
 
自分の主義主張がどこまでも末広がりに広がっていく事は、子どもの世界が広がっていくことと同じで、そこを「ダメダメ」で切り取っていくことは、世界を少しずつ狭めていってしまうことになるから、ちゃんと認めてあげないといけない。
子どもはママのものじゃないんだよと、世間は世知辛いのに手放す勇気を試される恐怖。
だけれども、子ども自身は羽化していこうとするように爆発的なエネルギーを「自分になること」に向けていて、抑えつければ付けるほどに、反発する力が産まれていきます。

もしかしたら、ママたちが戦ってる(ような気がする)のは自分自身の中への手放すという行為への葛藤なのかもしれません。
 
 
恐怖なのは3歳児の方ではなく、自我を確立させようとしている我が子に対しての執着や支配を手放せないママのほうなのかな?と思う、もうすぐ5歳になろうとする長女の振り返りでした。