私事ですが、実は去る4月8日に男の子を無事に出産しておりました。
 
産まれた週数は34週0日。
その10日ほど前に自宅にて出血し、子宮口も2㎝程開いていた切迫早産。私は、そのまま入院の運びとなり、クラスに来て下さっていた生徒さん達にご挨拶する暇もなく、慌ただしく入院をすることになっていました。

当初、張り止めの点滴がとても効果的に効いていて経過も良好であったので、赤ちゃんに懸念事項が少なくなった34週目になった事から、少しずつ減らしていこうとし始めた途端、反動で張りが再発、薬で抑制することも難しく、そのまま陣痛へと突入し、1時間後にはLDR(Labor Delivery Recovery = お産を準備し、お産をし、回復をするための部屋)へと移り、それから3時間弱で赤ちゃんのやる気に後押しされたお産を遂げる事になったのでした。

お産は、お母さん(の子宮)と赤ちゃんの共同作業

我が家には、今年6歳になる長女と、3歳になる次女、そして今回産まれた長男で、合わせて3人の子どもたちがいます。
幸運にも今まで3度、妊娠・出産を経験出来たのですが、それぞれに思い出と思い入れがあり、喜びや幸福、不安や苦しさがありました。そして、今回は特に身体と心のつながりを自覚したお産となりました。

入院時点で、まだ週数が早かった為、早産になるという事、低体重児である事は避けられない事、そういった状況は、“お産になる様な事態は遅ければ遅いほどによいのだ”という思考を産み、身体に対して「開いた身体」になってはいけない、「閉じた身体」でいなければいけないという暗示をかけていったのです。

無意識のうちに、「産んではいけない」のだという身体のフィルターに鍵をかけた状態をつくってしまった。
そして、それに気づいたのは、まさに子宮口全開で赤ちゃんも産道を下ってくる直前の状態の時でした。

お産に必要なのは、これとは”真逆“の状態です。
「開いた身体」になり、で赤ちゃんの通る道を意識下レベルから解放し、彼らのエネルギーと物質的な肉体を開放するという行為。これが準備されて、初めて私たちは『自発的に』お産をすることが可能になります。
この『自発的なお産』を心地よく迎えるために効果的であるといわれているのが、お産の方法の一つ、”ソフロロジー“です。

ソフロロジー「心身の調和と安定を得るための意識のあり方」についての学問で、sos(調和)、phren(意識)、logos(研究)の3つの言葉からできた造語。
ヨガや禅の呼吸法やトレーニングを取り入れているのが特徴。

ヨガで可能になる、お産の無限の領域

ソフロロジーは、呼吸法や特定の音楽を聞きながら身体と心をリラックスさせて、お産を前向きにとらえようとするものと言われます。それに限らず、イメージングやビジュアライゼーションを用いて、お産に対してのポジティブな姿勢を作り、心地よいお産が可能となるように準備していく事はとても効果的です。

ですが、私自身は、「ヨガの呼吸法」だけが、お産に有効とは思いません

“今”、自分がどのような身体的・精神的な状態なのか、自分で自分を“らしく”導いていくために、その妨げとなっているものを、客観的に自分を見て、自分の力でそれを整理整頓していく事、自分で自分を導いていくという事。
これがヨガの得意分野であることは、良いヨガの先生について練習をする経験をされた方ならば、誰しも経験したことがあるのではないでしょうか。

つまり、「自分の身体と心に何が起きているのか把握する力」であり、実はお産のイニシアチブを取っていく事を実現してくれる力でもあります。

私が自分にかけてしまった“身体を閉じる鍵”は、身体を強張らせ、「自分で産み落としていく」ために必要な、下流へのエネルギーの流れ(=サマーナ)を閉じ込める行為。
赤ちゃんがどんなに自分で頑張ってくれてもお産が進行しにくい状態です。私は入院期間を通して、自ら「赤ちゃんが出ていくための門の鍵」を強固にしてしまったようでした。

今まではいつでも生まれておいで(むしろ早く産まれておくれ)、という気持ちだったのになんでこれを喜んで上げられないのだろう。
なんで一緒に頑張ってあげる状態に持っていけないのだろう。
なんで早く産むことになってしまったんだろう。私の何がよくなかったんだろうか。
このままでは、お産を放棄してしまうし、赤ちゃんは自分で出てこれなくなってしまう。
途中で苦しくなってしまって、医療介入が必要になるかも。

分娩台の上で子宮口全開の状態の10秒程度で行われたれであろう私の意識下レベルでの会話は、自罰意識でいっぱい。
この自己分析は、「産むことへの恐怖」があることを紛れもない事実を、私にしっかりと教えてくれました。

気づきがあったその時に(超が付くほどのベテランの)助産師さんが「いきむ」という言葉を語りかけてくれた事や、踵を分娩台の上に踏んだ時に次女をこの世に押し出したときの感覚が戻ってきてくれた事、お産という行為そのものをもう一度思い出せた事により、それが自己暗示を解くきっかけになってお産はスムーズに進みましたが、気づくことが出来なければ、赤ちゃんは“閉じた身体”に閉じ込められて、自発的に出てくることが難しい状況となっていたかもしれません。

私は、ヨガの練習を通して身に着けていた“今”ここで私に何が起きているのかを客観視する力によって、お産を放棄せずに自分で産んでいく力を取り戻す事が出来たのです。

お産における心身論

心身観とは、人間の在り方でもあり、古くから哲学のメインテーマの一つでした。
様々な思想があり、現在も議論が続けられていますが、最近は脳科学を基礎に、心と身体というよりも、心と脳の問題として考察されることが多くあるようです。

ヴェーダ(ヴェーダンダ、ウパニシャッド)を始めとするインドの哲学思想では、人体は「粗大な身体(肉体)」「微細な身体」「原因の身体」の3つの身体から成り立っていると考えられています。
私たちの目に見える肉体である「粗大な身体」。
「粗大な身体」を機能させ、支え、生命として活動させ、マインド(思考)が存在している「微細な身体」。
そして「粗大な身体」の姿形や「微細な身体」における人格を定める元となるのが「原因の身体」。
 
 
お産は、身体での体験ですが、身体はマインド(意識)の層の影響を非常に受けやすいものです。私のマインドは恐怖を感じ、身体はそれに呼応するように強張った。それに気づいたことにより調和を取ろうとする働きが起きました。
そして、産まれてきた赤ちゃんを抱いたときに、感じる無条件かつ無限の喜びと愛情は、人としての本質(魂)の部分でそれを感じているのです。

お産・子育ては、私たちがヨガを通して経験する、肉体を通しての魂の練習を集約させたものでしょう。
言葉にすることが難しい想いも、経験をし、実感できているから。
 
ありがとう、私の子宮。
3人も産ませてくれてありがとう。
 
ヨガは、どのお産も、私を援けてくれました。