女性のためのヨガコラム

”手がかかる”は永遠じゃない。

すっかり、ご無沙汰しています。
お母さん、8割。
その他、2割。
程ほどにヨガヨガしながら、家族やママ友と面白おかしい日々を送りながら、お母さん生活を満喫中。

末っ子が2歳を前にして、1年前から決まっていた手術を受けました。
彼のプライベートなので、多くは語りませんが、親の気持ちだけ綴っておきたい記念です。

3人の子育てをしています。
長女は命の危険があるほどではないけれども、先天的な心疾患があり、 第一子という緊張や無知である事や親としての覚悟(及び経験)が足りないが故もあってか、ストレスフルな産後半年を過ごしました。

次女は、1歳半で川崎病を発症。
「健康懸念なく子育て出来るって何て精神的な負担が低いのかしら…」と実感中の育児だったので、「健康は絶対ではない」事を学んだ彼女との10日間の入院。退院後のフォローアップは続いていますが、再発もなく、学齢期で通院終了ではないかと言われています。

そして、長男。親としての経験もまあまあ。覚悟はほどほど。
世間のシビアさと同じぐらいの世間の優しさも知り、自分の役割を受け入れて、程よく諦めることも上手になり、取捨選択、優先順位付けもそれなりに出来るようになった頃に、早産の低体重児で生まれたのがボク。
「早く産んでしまった」という母の自罰意識を突き抜けるほど、彼への可愛さだけで、NICUの入院期と毎月の病院や療育を乗り越えました。
と、別に嘆きたい気持ちを伝えたい訳ではないのでこの辺りは割愛。

それなりに程ほどの”子育ての忙しなさ”を経験をしても、何度でも何度でも「なんでこんなに大変なの…!」という瞬間は来ます。
一緒に体調を崩しながら、時には母の不調を押し殺しながら何とか乗り越えるために日々必死です。(看病する側になっても、看病される側になる事はまずありません)でも、それは永遠ではない。

子育ての日々の中で何度も思いました。
「なんで私の子育て、全員一人ひとり病院がついて回るのだろう。」

そして、同じくらいこの思いを反復しました。
「仕方ない。今はそういう時だ。これが親なんだ。」

これを見てくださった親役割をされている方で、今現在、大変だったり心配するような事案と共にある方、何かと戦っている方もいるかもしれません。
親になった人は、誰しもこの不安を共感出来るものであり、決して孤独ではない事を私は経験から学びました。不安・悲観は一時的なもので、そこから出ていくための手段を私たちは手にすることが出来ます。


長男、入院初日は雛祭りで、娘たちと一緒にお節句のお祝いは出来なかったけれど、長女がおばあちゃんと一緒に錦糸卵の着物を着たお雛様ちらし寿司を私のために作ってくれて、遅い遅い夕食にそれを頂きながら、「ずっと手がかかるわけではない。だからこそ必要な時はしっかりと”母としての手”をかけてあげてあげたい」と思った夜でした。(サムネイルは彼女作の写真です)

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